SEP 2007
アメリカ西海岸 #02
"Adam Silverman"

 アダム・シルヴァーマンの陶器に初めて出会ったのは、東京のプレイマウンテンだった。
日頃自分が扱っている北欧の陶器とはひと味違った有り様に、正直ちょっととまどってしまった。北欧のヴィンテージと呼ばれる陶器はある程度評価が定まったものが多い。本などを通してあらかじめ勉強し、あとは自分の好みを反映したものを物色、値段に悩みつつ購入すればいい。ところが、現代作家の作品はそうは行かない。自分のセンスだけが頼り、そこが面白い。作品に感じられる過去の誰それの影響をひとりウンヌンし、下世話に将来性もカンガミ、エイヤッと購入するわけである。アダムの作品はカリフォルニアらしい明るさと、民芸にも通じるクラフト感がうまくバランスしていてとても新鮮だった。
今回の旅で、L.A.のAtwaterにあるアダムの工房を訪れることが出来そうだと聞き、とても楽しみにしていた。
 出迎えてくれたアダムは、アレン・ギンズバーグ風のセル・フレーム眼鏡(*5)をかけたもじゃもじゃ頭で、ヒョロっと背が高くとてもクールな印象。コンパクトな工房にはロクロや窯がいい感じに配置され、間近に迫った展覧会のための作品がまだ素焼きの状態で待機している。壁には益子での写真や大学のペナント、愛娘の絵などがピンナップされ、アーティストらしいインティメートな雰囲気にあふれている。ある壁の面が黄色にペイントされている。彼はもともと建築を学んでいたはず。とすれば、この色はコルビュジェの影響か?などと想像しつつ、いれたてのエスプレッソをアダムの器でおいしくいただく。
なんと至福の時間。

(*5) 60年代ビート詩人のトレードマーク的メガネ。いかにも本を読みすぎたという感じ
が演出できる。昨今、ジョニー・デップ型としてリ・メイク、流行の兆しアリ。今回の買付で、ヴィンテージを数点ゲット。


SEP 2007
アメリカ西海岸 #01
"Joshua Tree"

 300年は生きるという奇怪な形の植物ジョシュア・ツリー(*1)。その名を取った国立公園は乾燥した砂漠地帯に位置している。L.A.から約3時間、途中モダンな別荘地として有名なパーム・スプリングス(*2)を経由してこの地に向かったのは彫刻家、家具作家アルマ・アレンに会うためである。
2年ほど前、初めてのL.A.で、ヴェニスのアボット・ケニー通り(*3)にあったギャラリー"PEARCE"で彼の作品を見て、ブランクーシやアルプの影響を感じ取ることが出来るその不思議なオブジェに興味を持った。
その時はシンプルな木彫だけしか購入しなかったことが心残りだった。木の切り株を思わせるスツールや、アイアン・ウッド(*4)と呼ばれる固い木を使った小さな生き物のような作品をもう一度見てみたかったのだ。その後、彼はここジョシュア・ツリーにガール・フレンド、ナンシーと愛犬フリッツと一緒に移り、1950年代のキャンピング・カー「ストリームライン」に寝起きしながら、新しいギャラリーと住まい造りに挑戦している最中なのである。それにしても、この荒野で自力で家を建てるとは、フロンティア・スピリットは死語ではなかった。全ての生物がしたたかに生き残るしかないこの過酷な土地が、おそらく彼を魅了したのだろう。古来、人はあえて海、もしくは砂漠を渡ることで他者と出会い、交流し、交易を行ってきた。迫り来る美しい夕闇の中、僕ら遠来の訪問者はまだ電灯も準備されていない暗い建物の中でそのすべすべとしたオブジェの感触を楽しんだのである。そして、アルマの案内で、西部劇のセットに使われたという真っ暗な街並をハイな気分で探検。ふと空を見上げると、僕らはダイヤモンド・ダストのように輝く満天の星にすっかり包み込まれていた。

(*1) 一見サボテンの一種みたいだが、ユリ科の植物。この一帯に群生、得意な景観を呈している。U2のアルバム・タイトルにもなっている。
(*2) 1950年代フランク・シナトラを始め、数々のハリウッド・スター達が別荘を建てた場所。砂漠のまっただ中にプールやゴルフ場、ミッド・センチュリー・モダンな建築物を強引に出現させたアメリカン・ドリームの権化のような所。
(*3) アーティスティックなギャラリーやショップが並ぶLAでもユニークなエリア。ここには、今回すっかりお世話になったSOURCEの杉山氏が親 しくするショップ、tortois(トータス)がある。柳宗理,白山陶器、南部鉄器をはじめ、日本のデザイン・アイテムを卓越したセンスで紹介している必見の店。
(*4) 水に沈むという世界一重い木材、アイアン・ウッド(うりん)。彼自身が砂漠で愛犬フリッツと一緒に採取したもの。


MAY 2007
「備前へ」

 倉敷と直島は実は近いらしいことを知り、念願だった大原美術館とベネッセ・ミュージアムに行ってきました。久々に乗った新幹線の速さに驚きつつ、車窓や駅弁を楽しむ間もなく備前、岡山に到着。ローカル線を乗り継ぎ、小さな渡船でまずは直島へ。「日本の地中海」といわれるだけあって、日差しが強く、小さな島全体がキラキラ乱反射していました。島々が重なり合い、対岸にかすんで見える四国、高松の街が意外に近いのにビックリ。地中海というより、これはやはり日本的な風景です。埠頭には草間弥生のカボチャ、小さな入り江には大竹伸朗の船、切り立った岩場に杉本博司の写真など、島中にアート作品が点在していて、うっかりすると見過ごしてしまいそう。地中美術館は休館日のため、ベネッセだけの見学。でも、ジャクソン・ポロックやデビッド・ホックニーなど現代アートの傑作がゆったりとした空間の中で充分楽しめました。大きな石に寝っ転がるスペースでぼんやり流れる雲を眺めていると、空にうっすらと虹が架かっていましたっけ。景観にとけ込んだかのように建築やアートが在るというのはとてもいいものです。

 大原美術館に興味を持ったのは、濱田庄司のコレクションに惹かれてのこと。本館の名画はそこそこに、足はついつい陶芸館へと向かいます。濱田をはじめ、バーナード・リーチ、河井寛次郎、富本憲吉など、民芸運動を通じて交流を深めた名工による作品は、当然ながらとても見応えがあるものでした。でも、それ以上に興味深かったのは、隣接する倉敷民芸館。熊本国際民芸館を作った外村吉之介によって開設されたことがうなずける瀟洒な土蔵には、素朴と洗練のバランスが美しい品々がひっそりとたたずんでいます。倉敷ガラスや、山陰地方の焼き物など「用の美」にあふれたものに打たれました。なかでも、入り口近くにポンと置いてあった竹のスツールに目が釘付けに。学芸員の方に出自を訪ねたところ、くわしいことは不明だが、戦前の台湾製だろうとのこと。無名の工人による手仕事は、とても丁寧で細かく、まるで「ペリアン好み」。しかし、残念ながら現在は入手不可能とのこと。どこにいても、バイヤー根性が出てしまう自分にはあきれます。そろそろ小腹もすいたし、喧噪を離れた、本町という古い通りにある「さくら」という蕎麦屋で”荒ばしり”と呼ばれる旨い地酒を傾けつつ、次なる山陰の旅へと思いを馳せました。

MAR 2007
「旅の合間」

 今回の旅では、買付の合間をぬって、いくつかのデザイン・イコン的場所を訪ねてみました。それは、ドイツ、デッサウのバウハウスやフランス、パリ近郊にあるコルビュジエのサヴォワ邸など、前々から一度は行ってみたかった場所ばかり。写真や資料ではおなじみなだけに、実際に自分の目で確かめることへの期待はとても高く、また、いずれも期待以上に素晴らしいものでした。

まずコペンハーゲンに着き、いつもお世話になっている家具デザイナーO氏の奥さん、K子さんから聞いたデザイン・ミュージアムへ。電車で2時間半、KoldingにあるTRAPHOLTは、デンマークが誇る名作椅子の数々が展示されている海辺の小さなミュージアム。なかでも、一昨年他界したナナ・ディッツェルのコーナーが充実。オブジェのような杖がとてもカラフルでした。でも、お目当ては、以前から興味があったデンマークのデザイナー、クリスチャン・ヴェデルの展覧会。"MOUDAS SOFA"という座り心地のよい椅子をデザインした人で、復刻された鳥のオブジェで再評価されています。でも、僕が好きなのは子供用のシステム家具。プライウッドを使った可変的な椅子やテーブルは、シンプルで自由度が高く、鳥のオブジェ同様に彼の非凡な才能を発揮した傑作だと思います。このミュージアムでは、もうひとつ意外な発見をしました。アルネ・ヤコブセンのサマー・ハウスが移設、展示公開されているのです。プレハブ風の内部はとてもコンパクトで機能的、工夫されたキッチンが印象的でした。

 ベルリンからデッサウのバウハウスへ向かった日はみぞれ混じりでとても寒い日でした。でも、どんより曇った空気の中にあのガラスに覆われた四角い建物がスックと立ち現れたときにはおもわず感動。時代に翻弄されつつ、革新的な方針でさまざまな造形的実験がなされた場が、そこに在りました。ここは、まちがいなく、僕らが現在、生活の中で享受しているデザインなるもののスタート地点のひとつなのです。薄暗い半地下の廊下には当時の木製のロッカーがあり、ここで学んだ生徒や教授たちの足音が今にも響いてきそうでした。それに当時と同じ食堂で食べたランチ。昔もやっぱり、あまりおいしくなかったんだろうなー。すぐ近くの木立の中にあるパウル・クレーやオスカー・シュレンマーたち、教授のための住宅にも行ってきました。外観のモダンさに比べ、2世帯に区切られた中身はコンパクトで、そっけないくらい簡素。食堂も手狭。後述するコルビュジェ設計の広い食堂とは違っています。でも、それまでの装飾過剰な住まいと違ったアパートみたいな部屋はとても新鮮だったはず。階段室などのカラフルなペイントが一際効果を上げていました。
 ベルリンにあるバウハウス・アーカイブは残念ながら写真撮影禁止。でも、椅子やグラフィック、タイポグラフィー、建築など貴重な資料はとても楽しめました。なかでも、マルセル・ブロイヤーの初期の椅子があのカンチ・レバー式ではなく、フォークロア風だったのにビックリ、というかやっぱり、と納得。彼らもアーツ・アンド・クラフツの動向にはコンシャスだったわけで、工業化と手仕事の折り合いは、今でも続くテーマです。そうそう、女性写真家ルチア・モホリ(モホリ・ナギの妻でもありました)の作品も素晴らしい発見でした。

 パリに来るたびに、「今度こそ」と思いつつ果たせなかったコルビュジエ作品探訪、今回はサヴォア邸とラ・ロシュ邸を訪れ、両方共に圧倒されっぱなしで、いったい写真を何枚撮ったことやら・・。その造形美は、彼が言っていた「住むための機械」というより、「住むためのオブジェ」のよう。あまりにも自由で開放的な空間は、旧時代への挑戦でもありました。一見大胆なようで、実はこだわり尽くした細部は見ているうちにめまいに似た陶酔感を呼びます。それにしても吹き抜け、傾斜した通路、屋上庭園などはもちろん、間取り(といっていいのだろうか)も多彩で、子供だったらかくれんぼに興じてしまうにちがいありません。どちらも富裕層の邸宅ですが、僕はどちらかというとこじんまりしたラ・ロシュ邸のほうにシンパシーを感じました。コルビュジエは、もともと画家を目指していたらしく、絵も素晴らしく、思わずポスターを沢山買ってしまいました。で、余談です。organが入っているビルですが、25年前に無我夢中で建てたわりにはバウハウス、コルビュジェの片鱗が見えてるような気がしました。もちろん、あくまで自己満足にすぎませんが。

買い付けの方もいろんな成果がありました。少しずつですがアップしてゆきますので、お楽しみに。



DEC 2006
New York Revisited

 ボクにとってのリアルタイムなニューヨークとは、ボブ・ディランのLP『ブロンド・オン・ブロンド』(1)だったり、ウディ・アレンの映画『アニー・ホール』(2)だったりと、60年代から70年代後半までのイメージを抜け出ていない。アートに触れる今回の旅、といってもジャクソン・ポロックからアンディ・ウォーホルへの流れくらいはかじっていても、それ以降のコンテンポラリーなものはまるで門外漢。ヨゼフ・ボイスと聞いてフィッシング・ベストを思い浮かべるようにかなりミーハー。なので、やはり、まずはお約束、グリニッチ・ヴィレッジへと向かったわけです。ところが20年前、初めてワシントン・スクウェア(3)に立ったときと全然様子が違っている。ドッグ・ランなんかで犬が楽しそうに遊んでいて、プッシャーはもちろん、ストリート・ミュージシャンもいない。実にクリーンなもの。カウンター・カルチャー華やかりし頃の怪しいノリは微塵もない。ま、バーまでも禁煙という今のNY、さもありなん。で、しょうがなくSOHOへ向かい、高級デリ"Dean & Deluca"に立ち寄り、カタカナ・ロゴにつられ、オープンしたてのユニクロを覗く。なんだか、日本よりずっとカッコイイ。同じ商品?と思うほど。その後"bloomingdale's"(4)、 "kate spade"へと、なんのことはないヤッピー・ツアーと化してしまった。というか早くもNYのマジックにかかってしまったようだ。

肝心のアート。MOMAとイサム・ノグチ・ミュージアムへ行きましたとも。
MOMAはいろいろとお腹いっぱい。ノグチ・ミュージアムは思ったより作品数も多くいろんなニュアンスが楽しめました。彼が発見した日本的なるものはとは、やはり異邦人としての視点だとあらためて確認。そしてチェルシーのギャラリー街にはビックリ。なんとその数300位あるらしく、アート・ビジネスの存在を強く実感。日本ってアートはビジネスになるのかな。
追い打ちをかけるように、ちょうどオークション当日の"PHILIPPS"でプルーヴェやペリアンの作品を拝見、そしてプライスに仰天。プルーヴェ、ペリアンは、もはや家具ではなくアートなのですか。
 スシを独自のスタイルで全くといっていいほど別物に仕立てる手腕で明らかなように、サンプリングとリ・ミックスに長けた街、ニューヨーク。だからアートにしても、ファションにしてもビジネスのヒントには事欠かない。特に"JACK SPADE"の店。小さな店内一杯に、彼の趣味がちりばめられていて、まるでお宅におじゃましたような雰囲気。丁寧に作り込んだお得意のメッセンジャー・バッグ達に混じって鹿の剥製や、プライベートな写真が壁に掛かっていた。ディスプレイというよりも、コラージュしてる感じかな。ガムテープがベタベタ貼られたソファのアイデアはいつか頂きたいもの。
でも、スタッフの対応は、おしなべてクール。といっても、日本的ベッタリ接客が苦手な人にとってはこちらの方がありがたいのかも。そういえば、トライベッカにあるカフェ"Bubby's"で、大好きな俳優ハーヴェイ・カイテルに遭遇した。実は、5年前のブルータスNY特集で、この店のテラス席でロバート・デニーロと彼がお茶している写真を見て、「絶対行ってやる!」と心に決めていたのだ。でも、まさか本人がいるとは思わなかった。で、気弱なボクはサインもお願いできず、2m離れた席でチェリー・パイとコーヒーを飲みながら必殺の目配せをチラリ。もちろん、何気なくなんだけど、万感の思いを込めて。すると、5、6人の友人と談笑していた彼の目線がボクの目線とガチンコ。ボクは、一瞬にして『タクシー・ドライバー』のジョディ・フォスターになってしまった。彼は、あの優しくも性悪なピンプの目をして、「わかってるよベイビー、はるばる日本からやって来たんだろ」とまちがいなく言っている(ようだった)。視姦され、ヘナヘナになったボクは、彼らが立ち去った後勘定を済ませるとウェイトレスに言った「大好きなハーヴェイ・カイテルに会えて、とてもラッキーだった」と。すると彼女はこう言った「ああ、彼は始終ウチにきてるもの」。
(肝心の買付は、アレキサンダー・ジラルドのテキスタイル、ジョージ・ネルソンのトレイ、ポール・ランドのポスターなどをゲットしました。近々ご紹介します。)

(1)1966年発表されたロック史上初の2枚組アルバムで、彼のフォークからロックへの移行を決定的なものにした。数々の名曲が収録されているが、2枚目のB面を全部使った『ローランドの悲しい目の女』がイイ。

(2)1977年公開され、ウディ・アレンを一躍有名にしたNYを舞台のペーソスあふれるラブ・コメディ。ダイアン・キートンのボーイッシュなファションも素敵だった。Da Di Da…。

(3)60年代、ヒッピー達の間で「NYで困ったらワシントン・スクエアへ行け」という言葉があった。ちなみに、TOKYOで困ったら新宿「風月堂」だった。

(4)1972年に創業されたニューヨーカー御用達の高級デパート。従来の百貨店とは違ったセレクトとディスプレーで話題を呼んだ。買い物袋"big brown bag"のロゴは秀逸。


OCT 2006
『続・今日の買い物。』発刊記念!プチ物産展

 遅くなりましたが、イヴェントの報告です。
『続・今日の買い物。』で絶妙のコラムニストぶりを発揮された岡本仁さんと、共著者で奥さんの敬子さんを迎えてのトークということで、福岡のファンともども楽しみにしていました。前作『今日の買い物。』に続く、稀代の買い物魔夫婦による文章は今回も格別です。
いったいぜんたい、彼らの買い物ぶりの見事さはどこから来るのであろうか。
そんな熱い期待を知ってか知らずか、仁さんは本でも触れていたFBCDのメッシュキャップ(1)をかぶり、敬子さんはuni;queのバッグ(2)を携えてオルガンにやって来ました。トークはROVA小柳帝氏の司会進行で、なんともフレンドリーな空気の中で始まりました。会場は3階にある普段は居間として使っている場所です。4階の店舗にいると階段を通じて愉快そうな声が聞こえてきて、いても立ってもいられなくなります。ちゃんと聞きたいけど、店にもいなきゃいけないし、とうわけで階段の真ん中あたりに座り込みピーピング・トム状態での参加となってしまいました。

 今まで中古レコード屋と古本屋がない所に行こうと思ったことがなかったのに、カミさんの希望もあってタイに行き始めてすっかりハマってしまったという岡本氏は、目下の所、仏像がお気に入り。それも、日本では余り見かけない、横たわった姿のいわゆる涅槃仏。小型なので場所はとらないし、最近ではカンボジア、ミャンマー、ラオスと、それぞれに顔の違いまでわかるようになったとのこと。
 実は案外、土着系だったのか!などと思わせておいて、おまけに「僕はいつも遅れるんです、北欧も今頃になってなんです」とおっしゃる。この、先端を行く雑誌の編集者らしからぬ力の抜け具合が、実に奥深い。そうです、早い、遅いはもういいんです。ファッションにしてもデザインにしても、何が先頭で、何が周回遅れなのかすら判然としない時代なんですもの。そんな時代にあってこそ、買い物を通して自分をシャッフルする機会を持つのは案外イイことなんだ、と思いました。選ぶというのは、感覚的なんだけど、同時に情報をより分けて残ったその人だけのメッセージみたいなものかな。
 イヴェント終了後にはご夫婦のお土産「空也もなか」と「一保堂ほうじ茶」が参加した皆さんにふるまわれ、リラックスのひととき。
「プチ物産展」(3)では、岡本夫妻が本でとりあげた品々を手に取る人々でいつもは静かな店内が満員。
FBCDのキャップも上々の売れ行きでした。
 後日、その中でも気になっていた〈インド人の考えた日本風カレー(出来るまでたったの30分)〉を試してみました。おいしい。我が家の定番「新宿中村屋のカレー(レトルト)」を、あっさり駆逐してしまいました。

(1)『今日の買い物』004で紹介されているキャップ。氏の友人が作ったもので、市販のキャップに四つ葉のクローバーの葉っぱがロングボードになったロゴワッペンが縫いつけられている。

(2)プチログ!で紹介されているバケツ型のカゴバッグ。茶色の型押しレザー×ゴールド金具のバッグで、素敵な秋カゴ。

(3)「プチ物産展」は、2006年11月5日(日)までオルガンで開催中。
もちろんおふたりの著書『今日の買い物。』、『続・今日の買い物。』は、ともに店頭で販売しています。
岡本ご夫妻のブログ

〈Thanks!〉今回のイヴェントにあわせプチグラパブリッシングの代表、伊藤氏にも多々お世話になりました。ありがとうございます


JUNE 2006
「嬉野温泉『大正屋』と、森正洋邸」

 嬉野温泉「大正屋」へ行ってきました。
吉村順三の建築は、まるで森重久弥の「社長シリーズ」に出てきそうな昭和モダンな匂いがとても良かった。
ロビーの椅子は普通に天童木工で、部屋の造りも程よく和洋のバランスが取られていて、すこぶる居心地がいい。
「らしさ」を売り物にする昨今のデザイナーズ旅館みたいなのが、どーも苦手なボクはこんな普通のたたたずまいに弱い。
おまけに、料理も美味しくスタッフの対応も良いとなると、なんだかやみつきになりそう。もちろん、外の池と内側の湯船が同じ高さで、ガラス越しに連続している例の温泉も言うことなし。おまけに売店もなかなか良くって、郷土色豊かな品々につい手が出ます。
季節柄、嬉野の新茶がサイコーに美味しかったです。

 嬉野でのもう一つの目的、森正洋さんの自邸兼アトリエを尋ねることは、事前の連絡が上手く取れなかったにもかかわらず、思いがけなく実現した。
 
 それは、回りは元茶畑だったという嬉野の郊外にありました。
ちょっとシェルターを思わせる地下のアトリエに足を踏み入れると、そこはスケッチや、試作品、ビールの缶などが雑然とする小さな空間。
亡くなる直前までやっていたという仕事の痕跡とエネルギーがそのまま残っているようで、胸がドキドキしました。
また、敷地内には母屋やアトリエの他に、資料室、展示室、研修のための合宿室など、各用途の建物がつくられており、生前の森さんが“うつわづくり”をいかに自身の生活の近くに置いていたのかが垣間見られました。
 しかしやはり、所狭しと並ぶ彼の作品点数は膨大なもの。
すでに廃盤となっているアイテムや、これまでの試作品など…、思わず「これ復刻してください」と言いたくなるものばかり。
ここでははっきり言って、胸がバクバクしました。

 これからもずっと風化しない森さんの作品が、あるべきところで、共感した人たちに見てもらえるようなスペース、そんな空間が近いうちに出来るよう、応援する気分でその場を後にしたのでありました。
森正洋のカップ&ソーサー、デッドストックが入荷しました。その他アイテムご覧下さい。


April 2006
「オルガンとチョコレート工場」

北欧のホテルは、他のEU諸国に比べ料金も高く、その割には各設備を含めて、かなりそっけないもので記憶に残った試しがほぼない。
でも、今回の買付で利用したこのホテルは、多分忘れないのです。
とても嬉しい偶然だったので。

 マルモのツーリストインフォメーションで
ホテルを決めた際、そこのおねぇさんが、「このホテルはチョコレート工場の一部にあるホテルだから、運が良ければチョコレートが食べられるかもしれないわよ」と教えてくれた。
“チョコレート工場?はて、ジョニー・デップでも出てきたら笑えるなぁ”なんて冗談思いながら到着。
 チェック・インの際、レセプションのカウンターに置かれた、ピンク色のチョコレート缶にふと目をやると、カラフルなチョコレートが中に入っている。
なるほどコレを食べてよいのかと、もぐもぐやりながら、再度その缶をあらためて眺めてみたら、2つのポイントで目玉が飛び出た!

『マゼッティ社』…それは、リスペクトするデザイナー、オーレ・エクセルがCIを手掛けた“チョコレート会社”であって、確かに缶には、あの目のマーク(=CI)
『ココアイズ』が、ピタンと付いている!
では、ここはマゼッティ社の工場ってことで、まだまだなにか、出会いがありそうな予感。この種の偶然は、非常に・嬉しい!

 エレベーターに乗り、部屋のあるフロアへ到着、ガーッと扉が開いたその正面に、早速見つけた!
当時の広告ポスター(もちろんデザインはオーレ・エクセル)が、パネル化されて飾ってあった。この後、他にもポスターは見つけることになる。
 このホテルは、当時の工場建物の一部を新しく改築したもののようで、部屋はキッチンスペースもあるコンドミニアム形式。
だんぜん広く、清潔感もあり、これまでのホテルのうち、最高レベルのもの。
建物はコの字型をしているらしく、中庭が見えている。その中庭も、レンガ使いや建物外壁面の色合いが、まるでチョコレート風(意図的かどうかは不明)。
落ち着いた景色と、静かな環境でさらに好感が持てる。

 その後、散策の結果、このブロック一帯がマゼッティ社の工場敷地で、関連のカルチャーセンターなどもあることが分かる。
 一番、目を丸くした景色は、
敷地内入り口の“門”そのものが、『ココアイズ』になっていたそれ。

 結果、オーレの『ココアイズ』に導かれるまま、短時間だったけれどカルチャーセンター内のエキシビジョンを始め、入れる限り可能なところまで入り込んでみた。
ここに通う学生たちにまぎれて、廊下に常設された歴代の広告看板までも鑑賞できたことも、実感のある、とても嬉しい体験。
 マゼッティ社の景色の一部分を堪能し、その風通しの良い経営体制に少しだけでも触れた気分は、これまた心地よいものだったのであります。
オーレ・エクセルの、ポスターは、こちらから購入できます。



13th.November 2005

「森正洋氏逝く」

森正洋さんが昨日11月12日、77才でお亡くなりになりました。

3年ほど前、一度だけお会いしたことがあります。

そのころから体調が少し悪かったみたいですが、新作 の「ユニバーサル・シリーズ」に
ついて、いろいろな話しを聞かせていただきました。

九州人らしいユーモアと、はっきりした物言いが、今でもとても印象に残っています。作品が商品として市場に出るまで、いかにたくさんの人の協力が必要かなど、セラミック・デザイナーとして半生を捧げた方らしい真摯な発言 に心を打たれました。

つい先日、白山陶器からは動物オーナメントのネコなど、復刻再生産のお知らせもあったところ。(商品紹介しました)最近展覧会が開かれたり作品集が出たりと、再評価が著しかっただけに、突然の訃報に接し、悲しみもひとしおです。
心からご冥福をお祈りします…。



OCTOBER 2005
「オフ・ビートな街、ヘルシンキ」

今回の買付ツアーは、ヘルシンキからスタート。
関空発フィンランド航空で9時間40分。日本から最短のヨーロッパだそうで、確かにその昔、アンカレッジ経由でパリを目指した頃を思えば夢のような話。
とはいっても、やはりしんどい。一度でいいからビジネス・クラスへアップ・グレードと願いたいところだが、段ボールや、梱包材など、出発前は買付準備に追われ、いつもカードを忘れてしまい、ぜんぜんマイルが貯まらないのが現実だ。

ホテル「ソコス・ヘルシン」

ヘルシンキ到着後、まずは中央駅の真ん前にあるホテル「ソコス・ヘルシンキ」へチェックイン。1952年のオリンピックの際に建てられたというこのホテル、ここんとこ気になっているパーヴォ・ティネルの照明が使用されているらしく、期待度大。
ティネルといえば、最近世界中のオークションでも高値が付き、そのちょっとクラシカルなデザインがなんだか新鮮。さっそく、重いドアを押し開けてロビーに入ると、「ど、どーしたんだ!」と、たまげる程のティネルずくし。天井や壁はもちろん、ズラリと並ぶタピオヴァラ風椅子の隣にもフロアー・ランプがピタッと寄り添う。
吹き抜け部分にはガラスのランプ、レストランには時計と、その落ち着いた内装に彩りを与える真鍮と淡い光の輝きの美しさにしばし唖然。ファンシーなんだけど、シンプルさを合わせ持つデザインは、まさにモダニズム前夜といった趣。
そう、「使えるアート」ってな感じ。案外、インゴ・マウラーの元ネタだったりして。

 あわただしい買付の隙間をぬって、アルヴァー・アアルト設計の「フィンランディア・ホール」へ行ってみた。威風堂々。だけど公共建築にありがちな威圧感はなく、なんだか優しい。照明も、もちろんすべてアアルト。すぐ横の公園を老人と子供が歩いてゆくのが目に入る。風景と建築がとても密接にバランスしている。訪れる人のことを前提にした、ヒューマンな建築だ。
ついでにというわけでもないが、近くにある「テンペラウキオ教会」にも足を伸ばしてみる。岩盤を削り、天井に巨大なトップライトを持つこの構造物に包まれると、太古の記憶と遙かな未来が一瞬のうちに溶解するような不思議なトランス感覚に襲われる。こんな発想が出来るフィンランド人っていったいどんな精神構造をしているのだろうか。

フィンランディア・ホール

ヘルシンキは、コペンハーゲンやストックホルムに比べると繁華街でも人が少なく、落ち着いて歩けるオフ・ビート感の街だ。首都にして、人口は50万人しかない。それでも、知り合いの家具ディーラー氏は、市内にある小さなショップとは別に、広いウェアハウスと自宅を郊外に持ち、釣りや乗馬を楽しむ生活を選んでいる。街は仕事をするところ、生活は自然の中で、というわけだ。人口が日本の20分の1という国土に在りながら、この志向!何ともうらやましい限りではある。

ヘルシンキ、いろんな表情

この国には、「SISU」という言葉があるらしい。フィンランド人らしさを表すこの言葉の意味は、「ねばり強さ、意志の固さ」だという。長年にわたるスウェーデン、ロシア、及びソヴィエトの支配から独立した国民ならではの自負を含めた言葉なのだろう。これは同時に「頑固で強情」という事でもあるようで、確かにスウェーデン人やデンマーク人の調子の良さとは違ったシャイな面を持つ彼らは、まるでアキ・カウリスマキの映画の登場人物のよう。もちろん、あの独特のゆるいユーモア感も映画と同じで、僕は大好きである。余談だが、カウリスマキはアルコール依存症で、映画はしばらく撮れそうにないという話を前述のディーラー氏から聞いた。かなり残念。そういえば、アアルトも大の酒好き、パーティー好きだったらしく、酔っぱらってアイディアがひらめくや、即スケッチしていたらしい。蝶タイにタキシードで紳士然としたアアルトが葉巻片手にスケッチしていた姿なんて、絵になりすぎである。
なんとなく街にただようロシア情緒に刺激を受け、今夜はロシア料理をということで、とあるレストランへ繰り出した。時代を感じさせるコテコテの内装に、バラライカによるロシア民謡の演奏がサービスされたのはご愛敬だけど、肝心の味はといえば、しょっぱくて、イマイチ。値段は安くない。それでも、怒る気にならないのはやはり、オフ・ビートのなせる技なのか。



AUGUST 2005
「長崎三昧」

久々に長崎へ行ってきました。出来たばかりの長崎県美術館へ「アメリカホイットニー美術館コレクションに見るアメリカの素顔」を見るためです。
ホイットニー美術館所蔵の作品と、今話題の建築家、隈研吾のデザインが一挙に見れて、おまけに長崎の旨いものが食えるとあって、土砂降りの雨をモノトモセズ、いさんで出かけました。

屋上は空中回路でつながっている
オブジェが設置され遊べる空間は、むこう側。
景色を楽しめるのは、こちら側。

長崎県美術館の外観
あえて運河を挟んだ形状は、ランドスケープと一体化した気持ちよい景色

まずは、展示作品ですが、さすが一時代を築いたアメリカン・アート、とてもインパクトにあふれた展覧会となっていました。
リキテンシュタインの大きな作品は、作品集などで見るのと違い、漫画のドットがひとつひとつ手書きなのに(当たり前なんですが)今さらながら感心。
ほかにもジャスパー・ジョーンズ、フランク・ステラ、アンディ・ウォーホル、ジャン・ミッシェル・バスキアなどなど、20世紀アート界を牽引してきた作品が持つ先見性と問題意識には、すっかり圧倒されました。
そんな中にあって、お目当てのジョージア・オキーフの花はため息が出るほど美しく、妖しいまでの魅力で、思わず足元の線を踏み越えて筆跡に肉薄。すると、案の定、係の人がやってきて、「線を越えないでください」と古典的な指導が入り、興ざめ。
細君はメモを取ろうとしたら、ボールペンはダメで、鉛筆にしてください、と又面妖なおとがめを受けた由。まさか、芯を出すときのクリック音が迷惑だとでも言うのだろうか。実に窮屈な雰囲気がただよっていて、居心地悪し。でも、バウハウス出身の画家ヨゼフ・アルヴァースの元祖オップ・アートな作品が初めて見れたのでマ・イイカと、短気な我が身をいましめた次第です。
建築にはすっかりウトイ僕でも気になる建築家、隈研吾。環境を考慮したデザインというコンセプトは、この美術館にも感じる事が出来ます。長崎の出島にほど近い埋め立て地の一角に、ガラスと石材、それに得意のスリットを使った建物が、よけいな威圧感なしに、スマートにたたずんでいます。小さな運河をまたいで建っているところもイイ感じ。屋上には芝生を配していて、町並みや稲佐山まで一望できて長崎湾からの風も心地よい。ハード面はいいけど、ソフト・サービス面でもっとリラックスした雰囲気が備わっていば…、と、さっきの事でかなり執念深い自分をなだめるかのように、ミュージアム・ショップで見かけた隈さんの本を買いました。
タイトルがふるってます。『負ける建築』。
「建築家って、元来、哲学者みたいなもんだよ」と、友人が言ってましたが、確かにこれは単なる建築話に収まる種類の本ではないみたい。現代にまつわる様々な問題が建築を通して隈さん流に批評されてゆくわけで、例えばコルビュジェやミースを神格化せずに、モダン建築を、中産階級向けの一戸建て住宅という、いわばオブジェクトととして商品化した確信犯として定義するあたりは、かなり刺激的です。
欲望の対象としての建築や巨大なプロジェクトを、なんだかうさんくさく感じていた僕にとってこの本は、嬉しい出会いでした。

スリット、スリット、スリット…!

さて、長崎といえばチャンポンに皿うどん。共に大好物、常食してますが、やはり本場ものは外せません。今回は、眼鏡橋の近くの新しめのお店でズルズル、もちろんぷりぷり太麺のチャンポンと、パリパリ麺の皿うどんの両方をトライし、汗かきつつの大満足。夜は、ロシア料理の老舗「ハルビン」へ。移転した場所を探し当て、福岡で味わうことの出来ない美味いボルシチをライ麦パンと共にぺろり。ホント、長崎って異国情緒満点です。かのトルコ・ライスは次回のお楽しみ、ということで長崎三昧な1日でした。

長崎私的風景 『極細な路地、ハタ、中華街…』


JUNE 2005
「思ったよりコンパクトだった、イームズ・ハウス」
 先日、LAへ行ってきました。
目的は、買い付けと刺激。北欧もいいけど、ここらで原点に戻って、イームズ、ネルソン
やジラルドなど、アメリカン・モダ ニズムの一端に触れてみようというところ。
折しも、「モダニズム・ショウ」と銘打って全米のディーラーが一堂に会するイベントが
開催されていました。
さすが名だたるブース揃いで、上記のデザイナーはもちろん、プルーヴェ、ペリアンなど
の超レアな作品なんかも見れて、満足。ただし、あまりのハイ・プライスに唖然…。
さすが、ハリウッド・バビロン。でも普段、本なんかでしかお目にかかれない逸品に触れ、
座り、ひっくり返して構造を確かめたりと、楽しませて頂きました。


 今話題のヴェニス・ビーチには、若いアーティスト達の個性的なギャラリーやショップ
があって、イイ刺激を与えてもらいました。評価が定まったヴィン テージものとは違い、
これらの新しい作品に触れることは、自分の目をテストする意味でも刺激的です。
とあるギャラリーで(そこは石や木を材料にした彫 刻、オブジェを作家自身が経営して
いるのですが)、ふと彼の本棚を見るとイサム・ノグチの作品集が目に入りました。
「ブランクーシはお好きですか?」と 聞くと、ニッコリ笑ってうなずいてくれました。
だって、彼の見事な曲線を生かした作品にはノグチというより、その師匠でもあるブラ
ンクーシへの思いを、強く感じたからです。


 有名なローズ・ボールのフリーマーケットへは朝5時に入場、その品数の多さは、北欧の
小振りなノミの市に馴れた僕にはちょっとトゥー・マッチ。さすが ジャンク大国アメリカ
と言うカンジで、かなりヘトヘト状態でした。でも、運良くイームズ初期のDCMやLCWを
ゲットしました。


 イームズ・ハウスへ詣でることは、実は今回の旅の主目的でした。
レンタ・カーのカー・ナヴィに住所をしっかりインプット、ところがそこはホテルがある
サンタ・モニカからすぐ近く、アッという間に到着。まずは係の人にアポなし訪問を告げ
ると、建物の中に入らなければOKとのこと。見学料はカンパ方式。
老朽化しつつあるハウスの修理補修に当てるとのこと。それも、ペンキにしろタイルにし
ろ、当時と同じものを、つまりデッド・ストック状態のものを探して行うらしく、さすが、
というかとても嬉しくなりました。
さて、肝心の建物ですが、写真で見るよりコンパクトな印象。
海が遠望できる100mほどの高台というランドスケープにピッタリのスケール感なんです。

 建築された1945年といえば、日本が太平洋戦争で敗戦した年。そんな時代にローコスト
で、機能的な”軽み”に満ちた住宅を作ったチャールズ&レイ・イームズのイマジネーシ
ョンにピースです。
そして、うれしいのがリビングに置かれたフォークロア・オブジェの数々。
ジラルドの影響とも言われる、メキシコやネイティブ・アメリカンを始め、インド
や日本などの民芸作品などが今でも、選ばれたときのニュアンスそのままにたたずんでい
ます。プレハブ住宅と民芸品という組み合わせが絶妙!
また、庭には手作りの椅子やブランコが在ったりと、二人が生活をしていた気配が感じら
れてなんだか、リアルです。

 アメリカと一口に言っても、実は世界中のいろんな国の人たちの集合体です。イームズ
の学友エーロ・サーリネンはフィンランド人、イームズは多分オランダ系だったと記憶し
ていますが、当時デザイン先進国だった北欧の影響を少なからずサーリネンから受けてい
たことが想像できます。
合理主義一辺倒ではなく、ヒューマンな形でワールド・スタンダードなデザインを目指し
たイームズは、とてもバランス感覚に長けた人だったに違いありません。

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