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FEBRUARY 2005
「金沢21世紀美術館」に行ってきました

雪!の中に現れるモダン建築。でも不思議と外へと馴染んでます。
※画像クリックすると大きくなります

ライブラリーからの景色は、ヤコブセンの椅子と妹島さんのスツールがおりかさなっていて、イイ。

こうであって、美しい。

個々に来館する子どもやお年寄り、みんなが建物のなかの作品になって見えるのです。

車いすだって、ね、ほら。絵になります

こんな景色がふつうにある美術館、やっぱりイイ

展示空間に非常に余裕があることが、シンプルにかっこいいのでありました

仕上げはこの景色、めったに見られません。
エッグ・スツールの快挙です

 地方美術館なんだけれども、アートはもちろん、デザイン・建築の世界に興味を持つ人間の触覚に、色んな角度からひょろりひょろりと触れてくる美術館。
ざっとした前情報のみで訪れた僕らを待ち受けていたのは、従来の権威的な陳列型とは決定的に違った、日本で初めてのアミューズメント型ミュージアム。

 建物は周知のとおり妹島和世と西沢立衛の設計。ガラス張り、円形の建物にエントランスが東西南北4箇所、どこからでも入ることが出来る自由さがまず、イイ。
内部は、有料のゾーンと各種無料のゾーンがあり、アント・チェアがズラーリと並んだシアターや、カラフルなスワン・チェアが楽しいライブラリー、(ここのフロアはなんと現在のところフリーゾーン!)気持ちよいほどに整列する中庭側面のエッグ・スツールなど、デザイン・コンシャスな配慮が家具好きにとってもたまらない。

 展示されているのは、現代アート。といっても、身構える必要はない。ここでは、世界中の作品が、工夫を凝らした、ゆったりとしたスペースの中にディスプレーされていて、みんながそれなりにエンジョイ出来る仕組みになっている。
実際、来館者には圧倒的に地元の人や、子供達が多い。
その日も、ベルリンのアーティスト、オラファー・エリアソンの宇宙船のようなオブジェに、長靴履きの(金沢は雪だらけ)おばちゃん達が嬉々として乗船していたっけ。なるほど、地元に密着してるんだ。

個人的にもっとも興味深かったのは「存在としてある状態を創り出す作家」といわれるジェームス・タレルの『ブルー・プラネット・スカイ』。光をテーマ にした空間作家として、最近にわかに注目を浴びているこの人、以前からちょっと気なっていたのだけに興味津々。四角いコンクリートの部屋にはいると、天 井部分にポッカリと正方形の穴があいている。最初の出会いは、夜金沢に着いた関係で、その漆黒の穴がはたして絵なのか空なのか、一瞬わからなかった。でも確かに冷たい外気が天井から降りてくる。これは切り取られた夜空なのだ、とわかった途端、体がゾクッと反応した。大げさに言えば、無宗教の僕にも、宇宙の力が感じられたといか・・・。で、次の日、もう一度行くと、曇り空の中、鳥が1羽、空間を横切っていった。気のせいか、室内一杯に羽音が共鳴したような気がした。
そのほかに、プールの底から地上に向けコンニチワ!出来る『スイミング・プール』(レアンドロ・エルリッヒ)や、タレルとはまた違ったブラックホール が“まか不思議”なアニッシュ・カブーアのインド的世界、また作家名は忘れてしまったけど、床一面に敷き詰めたビー玉で世界地図を作った部屋など、「見所=遊び」どころが一杯。あの昆虫記ファーブルの孫、ヤン・ファーブルの愉快な彫像が、なぜか屋根の上にあったり、とにかく作品なのか備品(?)なのか判然としないようなイタズラ心も見え隠れ、まったく、風通しの良い美術館なのだ。

案内してくれた、21世紀美術館の永田宇郷君による的確なガイダンスのおかげで、たっぷりアートを堪能した後、向かったのは近江町市場。金沢の台所である。
目的は、冬の幸「甘エビ」を買って、それに合う、地酒をゲットすること。そして、その後向かった兼六園で、雪景色を眺めつつ甘エビ&うまい日本酒に舌鼓をうちつつ、あっという間の金沢をあとにする。次回にたくさんの期待を残しつつ。

   おことわり
今回は作品の写真はあまり掲載しませんでした。
ぜひ、現地で体感することをオススメ。



SEPTEMBER 2004

星野焼「源太窯」を訪ねて
 

福岡県星野村は、玉露で有名な「八女茶」の産地ですが、実はもうひとつ、
「源太窯」があるということで、前からぜひ訪れてみたい場所のひとつでした。
福岡から高速で約一時間、それから山間の道を40分ほど走ると、深い峡谷の霧の中に
抱かれるように建つ山本源太さんの窯を見つけることが出来ました。

日頃から北欧のスタイリッシュな陶器ばかり眺めている為なのか、その対極にある素朴
な焼き物がむしょうに恋しくなったのが、今回ここを訪れた第一の理由。
そしてもう一つは、行きつけのコーヒー屋で偶然教えてもらったシュス・トムセンとい
うデンマーク人の存在でした。
1972年から2年間、「源太窯」で焼き物の修業をし、後にコペンハーゲンの南にある
ムーン島で日本風の窯を建て、作陶に打ち込んだ女性陶芸家のことも気になっていたの
です。
古い籐の椅子が置かれたギャラリーの窓からは薄日が差し込んでいます。写真でしか見
たことがなかった作品が、木の棚の上に居場所を得て、とても気持ちよさそう。

手に取ると、しっかりとした持ち重みが感じられます。「土」の重みです。星野村の土
は鉄分を多く含み、どちらかというと欠点の多い土だと言います。そんなやっかいな土
を相手に長い年月をかけ、廃絶した星野焼を再興した山本さん。きっと、ストイックで
近寄りがたい人だと、勝手に想像していました。
「昔の星野焼にあった“夕日色”をなんとか再現したいんだけど、コレがなかなか、出
るときと出ないときがあってネー」と話す山本さんは、名の知れた陶芸作家というより、
つい「源太さん」と呼びたくなるようなオフ・ビート感にあふれていて、なんだかホッ
とひと安心(でも、その後、彼が書いた『土泥棒』という本を読んで、その激しくも濃
密な世界に圧倒されることになるのですが・・・)。

奥様が出してくださったお菓子や果物をいただきながら、話はなんとなくシュスさんの
ことへ。
コペンハーゲンのインテリア・建築大学を卒業後『イルムス』にデザイナーと
して就職、その後1966年に交換留学生として初来日し日本の民芸に出会ったという。
一年後帰国、翌年『日本での私の暮らしから』という企画展を開くほど、日本文化に魅
せられた彼女は70年に再来日、源太窯での滞在がその生き方を決定づけることになった
ようです。
「とても熱心でしたよ。今でも、もんぺ姿で、そこの軒下に座って土と格闘
している姿が目に浮かぶようです」と、源太さん。彼女がデンマークで出した本などを
出してきてくださる。柳宗悦の民芸運動に傾倒、日本人の心のありように迫った本や、
日本の器の使い方を紹介した本など、自筆のイラストを交えた素晴らしい内容でした。

僕らは、北欧のデザインを経過することで、初めて民芸など、日本独自のデザインに目
覚めたとも言えるわけで、そういう意味で、シュスはとても暗示的な存在だったのかも
しれません(彼女は、2000年に自ら命を絶ちました)。

気がつくと、谷間に差す日が陰り始めている。
ずいぶん長い時間おじゃまをしてしまったようです。
購入する何点かを選び、また訪れることを楽しみに、暮れなずむ星野村を後にしました。


OCTOBER 2003
【岡本邸滞在記】暮らしの中に、生き続けるデザイン。
 
今回は、いつもとはひと味違った旅を体験。
朝早くから歩きづめで、夜はホテルに戻り、部屋でその日ゲットしたものを整理して梱
包という、毎度変わり映えのしない買い付けツアーが、コペンハーゲンでの5日間だけは、まるで別天地でした。

岡村邸では、前述したごとく、連日美味しい手料理はモチロン、ご当地ビールから始まり、まろやかなワインを数本空け、締めは、シングル・モルトのスコッチ。それが、ごく当たり前に出てくるんです。別に、ゲストが、お酒飲めるかどーか、多分、関係なく。そんな時、アイス・ボックスは、ステルトンだったり、ワインのシール・カッターはジョージ・ジャンセンだったりと、それらのアイテムは、まるで毎日の岡村邸の日常の「しぐさ」のように普通っぽいんです。


知人の紹介でお世話になったお宅は、建物がなんと、あのアルネ・ヤコブセンの設計。
現在、三代目になる住人は、デンマークに来て35年、現在、椅子や家具のデザイナーと
して活躍されている岡村孝さんご一家。
敷地1000平米、建物だけでも300平米という広さに包まれたその家は、コペンハーゲン空港からほど近い閑静な住宅地にありました。

夕方に着いた僕らを迎えてくれたのは、孝さんの笑顔と、このゲストハウス主宰でもある奥様、恭子さんの、お手製のデンマーク料理。長女の彩さんもキュートな笑顔で出迎えてくれて、「では、お食事にしましょう」と案内していただいたダイニングには10人は座れそうなテーブル、椅子そして壁際のボード類はみんな孝さんのデザイン。高い天井からは低くセッティングされた2つのPH5から明るすぎない、優しい光で食卓を照らします。
そんな空間でいただいた手作り料理の数々、これがまた美味しいのなんのって…。
通常、買い付けの旅では、ろくな夕ご飯を食べない二人は、歓喜の涙。

ゆったりと夕食をいただいた後、上品な色あいのポット・チェア(!)が並ぶリビングに場所を移し、改めてじっくりとその広いリビングを見渡すと、ヤコブセンがこの家を設計時デザインしたブラケットランプや造り付けのソファ、マントルピース等々、電気のスイッチや細部にいたってもほぼ当時のオリジナルがなにげなく在るではありませんか。まぁ、ほんとになんて素晴らしく羨ましい空間でしょうか。興奮が覚めやりません。アドレナリンが出っぱなしの状態。
会話が進むにつれ、お酒の勢いも手伝って、一見シャイな孝さんがだんだんアグレッシヴに!「モノ売ってるだけじゃなく、オリジナリティを発揮しなきゃ!」みたいな、核心部分の話に及んだところで、僕はあえなくダウン。
12時間の飛行機の疲れのため、ベッドへと直行。「もちろん、organも“その道”目指してますけど…」と言いたかったけど…。


翌日は、早速早朝から買い付け開始。成果は、ぼちぼち。
閉店時間が、異常に早い(5時に閉まる店なんてざら)ため、7時くらいには、岡村邸に戻ると、恭子さんの「お帰りなさい!」の一声で、「ここは一体どこ?状態・・・」(うれしいよね)。なんとなく、ゲットモノの中からコーア・クリントのサファリ・チェアを出すと、「へー、イイじゃない」と、昨夜のキビシかった孝さんとは思えぬ、暖かいお言葉。調子に乗って、あれこれ出すと、「このガラス、だれ?」と、僕らの買い付けに、興味を持ってくれる。
そうこうするうちに、「これ、B&Oの60年代のテレビなんだけど・・」と、地下の倉庫から出てくる、出てくるお宝の数々。ナアーンだ、孝さん、持ってるじゃないスカ。


翌々日、コペンハーゲンの町中にある、孝さんの仕事場へお伺いしました。そこは、いわゆる『骨董通り』と呼ばれる、僕らが買い付けのためにウロウロするヴィンテージ・メッカ界隈にありました。
古いビルの中庭を通り抜けた2階にある広いオフィス・スペースには、もうすぐ日本で発売になる木馬(これは、要注目!)を始め、彼のこれまでの作品の数々が、実に居心地良さそうにたたずんでいていました。
そこは、普通想像する「オフィス」だとか「ショールーム」的な固い感じもなく、でも静かにピンとはった、綺麗な空気が流れている仕事場として理想の空間。
孝さんとともに仕事をしている、デンマーク人パートナーのエリックさんも、孝さんといっしょに、丁寧にいろんな事を説明ながら各部屋を案内してくださって(1フロア全てがおふたりのオフィス・スペースなので、本当に広い!そして奥に行けば行くほど濃密度が高かった…)、仕事中にもかかわらず、珍客にいたれりつくせり。僕らといえば、いろんな話をする中で、しっかり刺激と豆知識を仕入れ、ご満悦。本当にありがとうございました。
一室には、60年代後半、孝さんが遙かシベリア鉄道を経てやってきたこの国で、最初に師事した家具の先生が使っていた木工用の手製の道具箱が、大切に残されていました。
職人魂です。


 その後あれよあれよという間に、つごう4泊5日の滞在を終え、僕らは、次なる目的地ヘルシンキへと向かうことになりました。出発の日、買い付けた商品を、いつもは、自力かタクシーでエンヤコラサッと運ぶのに、孝さんが、エリックさんと一緒に郵便局まで自家用車で運んでいただいたり、飛行機までの時間を、オランダ人が入植した古い集落へつれていってくれたりと、この国の歴史をちょっと探訪。
そして、別れの時。それはもう、まるでアノ『ウルルン滞在記』的興奮状態。
異国に暮らす彼らから、今や失われつつある「日本人の心情」を、タップリいただいた気分でした。ヤバイっす、これって。




APRIL 2003
バルチック海は、まだ冬でした。
いやはや、ある程度予想はしていたものの、やっぱり北欧の春は、まだ寒かった!
4月3日コペンハーゲンは気温3度、風が顔に突き刺さる寒さ。どうしようか迷った
けど、やはり持ってきて良かったフリースと股引。ストックホルムでは雪に見まわれ、
坂が多いこの町で、滑らないようにソロリソロリの買い付けで気は焦るばかり。
でもって、究極はヘルシンキに向かった『シリア・ライン』船上で見た一面氷の海。
なにせ自分の船がヴァージン・アイス(?)をバリバリ割って進むなんて、小学生
の時見た『南極探検隊』の映画以来で、「はるばる来たぜ、バルチック海」な気分
でした。


ところで、肝心の買い付けですが、そんな悪条件にもかかわらず、ほぼ目的を達し
ました。詳細は、徐々にアップする各アイテムを楽しみにしていただくとして、ここ
ではほんのさわりだけ。
コペンでは、ウェグナーやヤコブセン、フィン・ユールの椅子、ナナ・ディッツェル
のスツール、パントンの『グローブ・ランプ』など。
ストックホルムでは、スティグ・リンドバーグの陶器類、リサ・ラーソンの動物陶器、
チャーミングな絵本達とファブリックが楽しいトート・バッグなど。

そして初のヘルシンキでは、カイ・フランクやティモ・サルパネヴァのガラス類、
アラビアの陶器、ヌルメスニエミのポット、アルヴァー・アールトのポスター、
そして今回のマストだったイルマリ・タピオヴァラの椅子などなど。

そして、初めてのヘルシンキではプロダクト・デザイナー梅田弘樹氏にすっかり
お世話になりました。オススメのトナカイ料理は残念ながら食べれなかったけれど、
旧アラビア社屋にあるデザイン大学の学食で一緒に食べたランチの魔か不思議な味
だったこと。
なにより、短い時間だったけど、フィンランドを愛し、この地から新しい陶器などの
デザインを発信している氏の心意気が伝わってきて、なんだか嬉しくなってしまいま
した。
よかったら、氏自身のサイトwww.studioume.comにもアクセスしてみてください。

梅田氏(右)と、福岡が誇る
デザイナー西村氏(左)



10.NOV 2002
ムッシュー・サヴィニャック、ありがとうございました。
やすらかにお眠りを・・・。

大好きだったフランスのポスター画家、レイモン・サヴィニャック氏が2002年10日
28日、彼の愛した小さな港町トゥルビルにて永眠されたと、数日前知らされたのは、本当にショックな出来事でした。享年95才。
心よりご冥福をお祈り致します。

MAY.JUNE 2002
 "Ever greens / Never greens" ヤコブセン展メモ

 御存じのように、今年はアルネ・ヤコブセン生誕100年。
コペンハーゲンのダンスク・デザインセンターで行われていた展覧会の会期に滑り込み
セーフ・・・おかげさまでで、タップリ楽しんでまいりました。

“Ever greens / Never green

s”と題されたこのエキシヴィジョン、現在も生産され
続けているプロダクトと、残念ながら生産中止となっているものを各々作品ごとに提示
するという仕掛け。
まずは、彼の作品がいかに普遍性を持ったデザインか、そしてあるものは、なぜ生産され
ていないのかを思わず考えてしまうという実にリスペクト溢れたタイトル。

いきおい、ポット・チェアや3103、3105、3108、グランプリなどなど、廃盤モノに
目がいってしまうのも人情ってもの。特に3105(背の細さゆえ、通称「モスキート」
なんて呼ばれてる)の子供ヴァージョンにうっとり。いつかキット、ゲットするぞ、
と密かに決意! 


そして、今さらながら圧倒されたのが「シリンダー・ライン」と呼ばれるスチルトン社
のステンレスの美しさ。なんでも、彼が初めてアメリカを訪れた際、マンハッタンの
摩天楼のフォルムにインスパイアーされたのがきっかけだったとか。

地下のトイレに行くと、蛇口から何からヤコブセン尽くし。
おしっこするのも勿体ないくらい。

そんな中で、今回最大の収穫はビデオで、動くヤコブセンが、しかもエッグ・チェア
に座って思う存分見れたこと。意外だったのは、あの、本でよく見るパイプをくわえ、
蝶ネクタイをした温和な紳士の印象とちがい、実はかなり辛らつだったこと。もちろ
ん、恐いというより、インタヴューアーの質問に、ユーモアを交えながらも、自分の
考えをハッキリと述べるという感じなんですけど。
例えば、50年当時の状況には「街には耐えられない程”アグリー”(英語字幕直訳)
な色が氾濫している」と唾棄するあたりに、彼がいかに古い様式に対して挑戦的であ
ったかを伺い知れます。有名なSASロイヤル・ホテルに対しても「まるでパンチング
・カードのようだ」という批判があったりと、彼の作品に対する評価も賛否両論だっ
たみたい。

そしてもうひとつ、簡潔で機能的なデザインを好んだヤコブセン・デザインの背景
に、バウハウスの精神が生きているのを、いまさらながら強く実感。
 


28.April 2002
2002年4月27日(土)
当店でも一押ししている、ハーマンミラーのポスターが、店内にディスプレイ
された素敵なダイナーが警固本通りにオープン。
オープン記念の初日だった昨夜、お祝いも兼ねてお店に伺うと、
おやまぁ、その“DINER SOH(ダイナー・ソー)”はすでに満員。オーナーの
樋口さんが以前からやっているBar&Restaurant“MODERN TIMES”の料理
はとてもうまいと定評があり、新店舗となるこちらにも皆様“期待大”なの
でしょう。で、実際のところどうだったか、というと・・・.期待以上にウマイ!
じゃ、ありませんか。
ということで、緊急リポート“DINER SOH(ダイナー・ソー)”の巻き。

 タイミング良く空いたテーブルをすかさず占領してメニューのチェックを開始、
全品目ご相伴に預かたいところだけど、二人という人数で伺った私たちにはいく
らなんでもそりゃ無理な話で、どうにか選んだ数種類をオーダーしてやっと一息。
あらためて見渡すと、程良い広さの店内は内装に気負いすぎることもなく(とは
いってもポイントにはしっかりと良いモノを使ってました)、活気がとても似合
うお店に仕上がっているので、伺うこちらも“よし!”と気負わなくてよい具合。
ようは、ラクチン出来そうな雰囲気。
カフェでの“ゆるり感”とはまたひと味違うし、もちろん居酒屋ほど雑多な感じ
でもない訳で、ほほーぅ、こりゃうまいことやってますねぇ。
と感心していたら、一皿目がやってきた。が、あっというまにたいらげて、
ごめんなさい、写真すら撮ってません。シンプルな“じゃがいものポタージュ
スープ,クロワッサン付き”というやつで、いわゆる「シンプルゆえに誤魔化し
きかない」をあっさりとクリアした一品だったんですがねぇ。

 で、2皿目、これが最高!“イサキのポワレとラタトゥイユたくさんの小ネギ
のバターソース”と名前だけでもわくわくするけど、食べるともうバクバク!
ソースが本当に濃厚でおいしくって、パンにつけて一滴たりとも残したくない
といった代物。で、ごめんなさい、これもまた、うますぎて、写真撮る暇ナシ。
その後も次から次へ、出てくる皿は端からからっぽになってゆく・・・“仔羊
のロースト&イモのさっとソテーした野菜添え香草ソース”はラムチョップを
最後までチューチューとスバぶり、“地鶏の西京味噌のマリネのさっとグリル”
は、炭焼き風味で味濃い地鶏肉を堪能。“ホタテ貝柱と白ネギのリゾット”は
ホタテたっぷりのクリーム味にご満悦。といった調子で、二人ともお腹いっぱいに。
あぁしまった、あと“牛肉とセロリのじっくりトマト煮”と“生ハムとサツマイモ
のピザ”も食べたかったのにと、我が胃袋を恨めしく眺める。そうしつつ、食べた
ものを回想すると、うまいと思ったそれら全てに一つの共通項を発見した、それは
“全く、しょっぱくない”だ。
これ、かなりの高ポイント。
普通外食だとある程度の塩気を感じるものだけど、ここは全くそれがない。イコール
、ヘルシーってことで、更に好感度アップ。

料理がうまいと酒もすすむといった調子で、初めにオーダーしたマンサール・ブリュ
ットひと瓶はあっさりと空になり、その頃にはおいしさからのゴキゲンも手伝って、
デザートを2種類もオーダー、手作りジェラートもぺろり。
お次の品もちゃっかり堪能。ハイ完食。
で、それでどーなのよ、って?
そうですねぇ、合い言葉は「何があってもシメはガトーショコラ”ですよ!」だな。



30.March 2002
「白山陶器、訪問記」
少し前から、柳宗理のケトルやカトラリーなどで、“日本で生まれたモダンデザイン”を意識するようになっていた私たちの、前々からのキーワードが“白山陶器”。
福岡から車で2時間も走れば行くことが出来る波佐見にそのショールームがあって、遂にこの前行って来ました。

途中で道を聞くついでに、天ぷら買ったり、野菜買ったりと、のんびりドライブ気分でゆるりゆるり。
が、白山陶器のマークと建物が目に入ったとたんにのんびりモードから一転、気持ちを引き締めいざ出動。
まず私たちを出迎えてくれたのは入り口側面の壁。カラフルな陶器が埋め込まれていて、まわりののどかな風景と意外にも相性ピタリ。で、思わずパシャリ。

中に入ると、おや?誰もいません。その代わりといってはなんですが、ほどよく使い込まれたイームズのラウンジ・チェアとネルソンのラウンドテーブルの応接セットと趣味の良い内装が、ようこそと出迎えてくれました。


それにしても、ホントにどなたもいらっしゃらない。が、すでに周りには、森正洋氏の器やお皿などなど、福岡では見ることのできなかったアイテムがきれいに展示されている。え?イイんですか?こういうのって?と、目パチクリ。でも、心地よいのんびり感が漂うそのフロアは、訪れる誰もがゆっくりと商品を見ることができることを意識しているかのよう。で、ちゃんとフォローもありました。フロアの隅に電話が置かれている、「ご用の方は31番を回してください」。なるほど、何か必要な人にはこれで対応してくれるようです。

案内を受け2階のメイン展示場へ。親切に対応していただいたのはデザイナーの馬場さん。
金沢からこの地にやってきた、白山陶器では一番若い才能なのである。
森正洋氏の有名な“G型しょうゆ差し”(馬場さんの説明によると、その昔あのカイ・フランクが「しょうゆ差しを作った男に会いたい」ということでここを訪れたという)などの代表作はもちろん、平型茶碗、土瓶などなど、他にも美しいラインを持った無地の食器などを物色、少々興奮気味にフロア内を見て回り、質問を浴びせる私たちに気長に付き合ってくださいました。ほんと、ありがとうございます。


結局3時間くらい、たっぷりとあれこれ見て、触って、感想は“素ぅ晴らしい!”
白磁の陶器が美しく栄えるように計算された、趣味の良い壁の張り地、プライウッドの棚、テーブル、
全体の統一感、そして天井のデザイン。なんでも、ここを造るときに森氏がデザインし、作成したものが多いとのこと。そういえば、壁に貼られた森正洋氏の作品ポスターも、エディトリアルワークが最高!写真撮影も含め全て、すべて森氏自信が手掛けているらしい。彼はマルチな人なのだ。
カイ・フランクやスティグ・リンドバーグなんかに比肩できる、モダン・クラフトの世界が九州のそれも福岡からさほど遠くないところに在るなんて、なんだか誇らしい気持ちになりました。
そんな素晴らしい白山陶器の品々がオルガンでも手に入るようになりました。
一部のアイテムは、variousのページで紹介する予定ですので、是非ご覧ください。


13.December/2001
 当店で二日連続、開催された永井宏さんのリーディング・ツアー“WATERMELON AND CLOUD”は、ここ何日かの寒さも吹き飛ばすホットなイベントとなりました。

初日のワークショップでは、永井さんによって決められたテーマにそって、参加者の人達が文章を書くといった流れ。いざ開始されると、参加者の方々は短い時間にもかかわらず、なかなかの文章力を発揮。永井さんから“よくできました”の言葉が飛び出したりもしました。できるもんなんですね、感心しました。(これぞ永井パワーかも)。
二日目はリーディングとライヴ。まずは初登場、細田美代子さんのボサノヴァ弾き語り。ご本人の緊張にも関わらず、繊細な歌声とシンプルなボッサのリズムに思わずウットリ。人前で歌うのが二回目とは思えない素晴らしさに唖然としてしまいました。続いて、永井さん登場。登場するだけでホッとするようなムード。詩のリーディングも、流ちょうじゃない分、身振り手振りを加えたパフォーマンス振りが板についてきて、聞く人を引き込みます。参加者の中からも何人かの方がリーディング。東京なんかでは盛んなリーディング、福岡でも盛り上げようという提案もありました。下手とか上手とかじゃなく、書かれた文字を口に出して空気中に吐き出すことで初めて、その人なりのエネルギーや感受性が具体化される。これって、とてもエキサイティングなことですよね。そして、「今年もやってしまいます」というわけで、始まった永井さんのライブ。ディランやドノヴァン、ビートルズなどの曲を、ドブロ・ギターをかき鳴らし歌う姿に、彼のルーツである60年代へ思わずワープしてしまいそう。フォーク・ムーブメントやカウンター・カルチャーって言葉は知らなくても、何かを感じてもらえたはず。それは、たとえば何らかの形で自分を表現するってことかもしれません。

参加者のリーディング風景を、永井さん、なごんで聞いてました。イイ感じ。

ドブロ・ギターをかき鳴らし歌う永井さん。そのエネルギーは一体何処から湧いてくるのか、スバラシイです。

June 2001 >> July 2001

COPENHAGEN
昨年に続いて、今年も6月末から7月にかけて、2週間ほどコペンハーゲンとパリに大買付ツアーを敢行しました。例によって、相方のT嬢ともどもの珍道中。モチロン、北欧系椅子をはじめ、物欲爆発。コンテナ一杯の逸品が只今スエズ運河あたりをば、しずしずと航行中のハズ。9月中には入荷の予定です。興味がある方はFUNITUREのページをクリックして、入荷予定の品々をチェックしてみてください。

 今回のツアーも、朝6時起床、一日中歩きっぱなしというハイ・テンションぶりでしたが、コペンとパリで各一日だけ、とてもスペシャルな時間を持つことが出来ました。

 まずは、コペンハーゲンから電車で15分ほどに位置する“ベルヴュー・ビーチ”巡礼。ここは、僕らが敬愛するアルネ・ヤコブセンが1931年から1961年にかけてデザインした“未来型”レストラン、映画館、集合住宅などが現存している(モチロン使用されてもいる)という、夢のようなデザイン聖地。バリア・フリーを世界に先駆けて発想したデンマーク、コペン市内はどこも自転車専用道路が完備されて、歩く人も安心、自転車の人もスイスイ。「そこ除けそこ除け」とばかりに、灯火もなしで、我が物顔の自転車野放しニッポンとは雲泥の差。乗る人も乗らない人にも配慮されてる。電車にだって自転車を持ち込めるし、ああ、電車といえば、犬OK、BUT禁煙車なんて車両があったりして嬉しくなってしまう(ちなみに別にちゃんと喫煙車もあり)。

ヤコブセンの集合住宅

映画館

犬OK、BUT禁煙車!?

※写真をクリックすると拡大します。

 さて、ビーチへと向かえば、これもヤコブセンがデザインしたチャーミングな監視塔が目にはいり、その下ではいましも海から上がったばかりの男性がスッポンポンで、口笛を吹きながら実に優雅にお着替え中。多分ついさっきまで、7月とはいえまだ冷たい北海で海水浴を気持ちよーく、ノーパンで堪能したのであろう。はしたなくも、デバガメよろしく、ついLOMOで激写したニッポン人は、いざ念願のレストランのランチ・タイムへと突入。

 店内はエッグ、スワン、セブン、オックスフォード、そして幻の子供用椅子、そしてカトラリーまで、ゲップがでるほどのヤコブセンづくしのインテリア。ところが、外のテラスに席を取った僕らのカトラリーはヤコブセンじゃない!スタッフを問いつめると、なんと、ヤコブセン好きのヤカラがぜんぶ失敬してしまうらしく、店内はさておき、テラスでは現在使用していないと、にっこり顔で説明され、唖然・・・、というか、やっぱりネー、ファン心理は世の東西を問わずってわけだ。で、僕はアント・チェアが表紙になったメニューをば失敬。まったく、油断も隙もないニッポン人なのであった。


ヤコブセンレストラン 

監視塔

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PARIS
 所変わって、ここは花の都パリ。でもコペンでのゆったり感に浸ったあとのパリは、排気ガスで喉をやられるし、なんだか忙しすぎで街も薄汚れて見えてしまう。とはいえ、そこはそれ、独特のヴァイブにあふれていることも確かなわけで、気持ちを切り替えて、パリならではのお宝を求め、いざメトロに乗って出陣!しかし、パリのメトロって、乗り換えが多く、そのつど結構な距離を延々と通路を歩かされるわけ。

 その日も、壁のでっかい宣伝ポスターを眺めつつ地下通路をひたすら歩いていると、コンサートのポスターがズラーッと貼ってある。つらつら流し目を送るとその中のひとつに、僕の視線は釘付けになってしまった。なんとジョアン・ジルベルトのコンサートが、オランピア劇場で、しかも5日間というぼくらの短いパリ滞在の間にあるわけさ。一も二もなく、チケットを求めてFNACに走りました。

※写真をクリックすると拡大します。

 そして、2001年7月8日、日曜日、PM 9時、ジャック・ブレルがシルビー・バルタンが、そして初めてフランスに現れたあのビートルズがステージに立った、さらにはつい先日、あのアンリ・サルヴァドールの大復活コンサートも行われた「シャンソンの殿堂」オランピア劇場に僕らは足を踏み入れたのです。会場はモチロン満席、中央列ど真ん中の席を取れたことはラッキーとしかいいようがないわけで、興奮気味に開演を待つ。が、が、が、しかし、開演時間を10分過ぎても彼はまだ出てこない、10分どころか20分過ぎても現れぬ、ム、ム、ム???待ちきれずに、ジョアンの曲を歌い出してしまうヤツがいたり、それを「シー!」とばかりに制するものいたりでかれこれ30分も経った頃、ようやく本人登場。

 ちょっとくたびれたグレーのスーツにネクタイ、だいぶ薄くなった頭に眼鏡をかけて、どちらかというとかなり風采が上がらない。まるで、政治亡命者だ。そして割れんばかりの拍手の中から、くぐもったような、諦念に充ちたアノ声が聞こえ始めたとき、場内は水を打ったように静かになった。大袈裟ではなく。場内の全員の耳が吸い取り紙になってしまった。

 それはその昔、彼が3ヶ月の間バスルームに一人こもり、ギターと歌だけで自分なりのサンバを、まるで錬金術師のように生みだした瞬間に立ち会っているかのようだ。つぶやきにも似たヴォイスと、的確なビートを刻み続けるギターから紡ぎだされる一人っきりの音楽。これこそが僕にとってのボサノヴァなのだ。おなじみの曲が続き、思わずハミングしている僕。と、隣のマダムはなんと、ちゃんとポルトガル語でシンガロングしてる、さすがエトランジェの街、パリ。

 そういえば、ジョアン自身が異邦人、もしくは漂白の人ってイメージ。そんなヴァガボンドな生き方とボサノヴァはパリにとてもしっくりとくる。スタンディング・オベーションの嵐の中、アンコールはあのデビュー曲「シェガ・ヂ・サウダージ」一曲で幕。さすがボサノヴァの化身、去り方も潔く、実にあっさりしたもの、「ギター抱えた渡り鳥」ってな風情(?)。まさに、ブラボーな夜でした。